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オリンピックについていろいろと [お弁当]

いつの間にかオリンピック終わってしまって、閉会式にゲルギエフが出るという話でしたけど、どこだったんでしょう。まだまだ楽しみたい気持ちがいっぱいです。[わーい(嬉しい顔)]

[喫茶店]

昨日、キャベツ半分使った回鍋肉がとても美味しかったです。
(先週の雪では、うちの方だけ雨だったようで、温かくなってお野菜やいちごの良いのが出てきました。
お天気の違いが、つくづくローカルに紙一重だと思います。)

IMG_7288.JPG 鈴廣の小田原蒲鉾です。[犬]がおみやげで買ってきてくれました。揚げたてでとても美味しい。形がかわいい。でもお弁当に入れたらひょうたんが大きすぎた・・・。

IMG_7268.JPG お弁当の記事を書いておきたいのですが、果たして朝からプロセス写真を撮れるかどうか。

[喫茶店]

浅田選手のフリーでの成功により、世界からの注目が止まらないようなので、また書いちゃいます。[手(グー)](←自分でごっちん)

ショートでの失敗により、自分をコントロールできていないとか、客観視できていないとか、色々アスリートとしての能力の不足を指摘されていますが、そうかな。

浅田選手は、ショートの後、「自分の考えと感情と身体が違った。」「リンクに上がったときは感じなかった。滑り出したら感じた。今までに感じたことのない恐怖。」と、非常に感覚的なことをおっしゃっています。私はこの感覚にすごく共感してしまうのです。

日本人は、悲しいことを忘れない人が半分以上いると聞いたことがあります(ソースは震災後の統計です。NHKの視点)。これは、私の古い記憶での、アメリカの連邦ビル爆破事件後の調査での3割よりはるかに高いです。また、危機に直面したときに回避する、危機回避型の人が日本には多いそうです。これも日本人に多いそうです。危機回避型の反対は、危機わくわく型だそうです。
私は、危機回避型という性質が日本人に多いのはは、日本は災害が多い為、忘れないことが生き残ることに直に繋がったからだと思っています。

戻りまして、浅田選手が直感的に感じた恐怖は、感受性に関係のある脳の扁桃体というところに関係があります。そこが鈍いと何もあまり感じない。浅田選手は、とても感じる方の人だと思いました。
元々脳の性質が違う人々と果たして同じに戦う必要があるのでしょうか。

ましてや、オリンピックという他の世界大会とは違う代理戦争の場。他国の冷戦時代のステートアスリートまがいと、まさに「戦」わなくてはならない。競技相手は持っているだろう「戦う」という意識。中には戦いにわくわくしてしまう人、戦いを楽しめる人々と、浅田選手のように、危機を敏感に察知し、一方で日本人的に高品質を追及する職人肌の人とは違う、と思ってしまうのです。

とはいえ、トップだから国代表になり、国代表だから責任感を持って実力を100%発揮しなくてはならない。
それならわかります。
しかし、それを鈍感な人と同じようにコントロールできないというのは、どうか。

震災の例えをしますと、感受性の強い私は、地震のあとすぐ動き出し、必要な物を手に入れました。しかし、[犬]は、慌てずどっしりしていた(多分仕事はできる)ため、トイレの水をお風呂から汲むのに疲れ、夕方ポンプを探しにホームセンターに行ってみたら、それらしいものはみんな売れ切れていたということになりました。
また、鈍感な人は、感じないから、人も感じないと思っている。

私も、本番では普段の60%の実力しかでないと言われてこみこみで練習します。(世界が違いすぎですが・汗)
到底いつも通りではありません。
いつも通り、と落ち着いていた浅田選手に、あれ?と思っていました。
これは、心理士がついていたかどうかわかりませんが、メンタルコントロールでの周囲の指導ミスでは?

できれば、ひとそれぞれの脳の扁桃体の性質によって、総合して色々と考えてくれればいいのに、と思ってしまいます。
「いじめ」についてもそういう観点が必要だと思っています。

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